新時代のメディアは、今を生きるメディア

当サイト「Earth」は、
Word Pressというブログシステムで構築されてますが、
システムのことがわからないので、
実のところ、日々悪戦苦闘しちゃってます。

このシステムにコンテンツを乗っけはじめて
まだ日が浅いのですが、否応なく気づかされたことがあります。

それは、メディアに完成形はないということです。
(このサイトがいわゆるメディアか?は、置いておきます)

メディアと言えば、大手マスメディアがまずは思い浮かびます。
TV、新聞など全国的なメディアが(業績の面で)衰退しつつあり、
そのかわりにネットが台頭したというのが世間一般の見方でしょう。
僕もついさっきまで、無意識のうちにそう思っていたかも知れません。

しかし、事実はそうではありません。
「究極のメディア」さえ目指していればフレームはこだわらない、
TVとか紙媒体とかネットとか、そんな縛りは人間が設定したものである。
はっきりそう思えたのです。

つまり、例えばTVというメディアで何ができるかではなく、
伝えたいことが何で、どんな方法で実現するか、
その使命が先なのですね。

そして、使命に応じて、
あるべきメディアの姿がその度に生成されてくる。

これは、今まで以上にメディアがナマモノになる、
ということでもあります。
これまで固まっていたメディアの定義すら、
破っていくことになるかも知れません。

その観点に立てば、TVや新聞の凋落など言われていますが、
そのメディアに属する方々だって何も恐くないはず。

メディアの定義なんて意味がなくなるため、
変化をデフォルトとすればいいのですから。

そうなれば、一見凋落したように見えても、
また、実際に感じたとしても、
それは幻想にすぎないことになります。

ナマモノ、臨機応変、事実上のカテゴライズ不能。
これが、とりあえずメディアが進んで行く方向性の、
大きな柱の一つになっていくでしょう。

恐れるべきは、内側の自分です。
現代のTVや新聞などのマスメディアが、
今が頂点であり完成形だと自ら思い込んでしまうことです。

そうなると、ネットなど新しく台頭してきたメディアが
自分たちを脅かす敵に見えてしまうかも知れないからです。

「新しく台頭してきた・・・」という便利な一言で
完結できるメディアなどない、
これが真実なのではないでしょうか。

何ごとにおいてもそうかも知れませんが、
どんなメディアでも、その時その時にあわせ、
臨機応変に変わっていく必要性があるからです。

だから今、大手メディアに閉塞感があるのだとしたら、
旧メディアと新メディアの共存共栄を
打開策とするべきではありません。

本当の打開策は、今この瞬間に何を伝え、どうあるべきか?
具体的な方法として、何ができるのか?

そのためにベストを尽くすことこそ、
どんな業界にも通ずる真の道、真の姿であり、
常に変化していくことを最初から織り込んでいることが、
実は最も完成に近い形なのではないでしょうか。

まずは形が無いことが正解かも知れない。
そうなると、その場その場で「これだ!」というものを
ひねり出す必要性がでてきます。

出たトコ勝負を求められ続けるのは辛いかも知れませんが、
それが今を生きるということにつながる、そんな気がします。

 

(文/中里 昌克

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