日出づる国の行方(Vol.8)~鎌倉仏教とその背景、そして現代のコミュニケーションを語る[2]~

第8回目の今回は、前回のコラムの続きとなっているので、
今回初めて読まれる方はぜひご一読いただきたい。

昔の「コミュニケーション」を考える

「コミュニケーション」とは、
「(人と人が、)感情や意思などをもって、お互いを理解し、
受け止め、認めて、相互関係を円滑に保とうとすること」
ということなのではないだろうか。


私は今40歳だが、小さい頃(幼少期~高校生くらい)の
記憶を辿ると、その頃の「コミュニケーション」の形は本当に
理想的で「良かったなぁ」とただ一言思うのだ。

なぜなら、暗黙の了解で友達みんなでしっかりとルールを作り、
そして守り、現代のような親たちのような過剰な(歪んだ)
感情・思惑・干渉等々の影響もほぼ受けずに、非常に健全な
「子供たちだけの世界・コミュニティ」をつくることが
可能であったからだ。

もちろん、親たちや地域の方々の”思い”や”見守る”姿勢、
それから”子どもたちを信頼する”という信念のようなものが
強くあったからこそ可能であったことは決して忘れては
いけないであろう。

当時の親や地域の方々というのは、基本的に「子どもは国の宝」
という意識が非常に強く、「大人たちみんなの力で子どもたちを
守る」ということを自然と実践していたように思うのだ。

当時の親たちの多くは子どもの友達を招いて誕生日会や
クリスマス会を開いたり、お菓子やお昼ごはんをご馳走
したり、ジュースを出してくれたりした。

友達と家や外で遊ぶことも気持ちよく「歓迎」して
くれていた。

こういったことを、他にも色々と挙げればキリがないのだが、
私の両親が当時私に言ってくれた言葉を今でも私は
鮮明に覚えている。

これらの言葉は、「子どもに対する教育論」のいわば
”集大成”のようなものだと私は思っているので、参考まで
にその内容を一部、今ここで書き記してみたい。

・今しかできないことは手を抜かず全力でやること。

・何事に対しても「一生懸命」逃げないで向き合うこと。
(遊び、学び、善行、悪行、辛いこと、悲しいこと…etc)

・ 「真に強い人間になること」を常に志し、励むこと。
(人に優しく・思いやりのある人間、善悪の区別が
つけられる人間、それらを自分の言葉で主張できる人間)

・暴力や迷惑行為は如何なる理由があっても絶対にしないこと。
「暴力」で解決できる道は存在しない。

・人に迷惑をかけたのならば、自分で受け止めて、理解して、
誠心誠意、許してもらえるまでお詫びの気持ち・態度を伝えること。

・頭を下げなければならないときは、「素直」に頭を下げること。
「人としての責任」を考え、理解すること。

・「自分がやられたらイヤなこと」は人に対してやってはいけない。
考え、思いやる気持ちを持つこと。

・人の意見や考えに「反対」をするのは簡単だが、その前に、
自分で同じことを経験したりやってみたりすることが必要。
できなければ、調べたり、本で学んだりして自分なりの
経験を必ず踏むこと。判断をするのはそれからでも遅くはない。

・褒めるときは全力で褒めること。叱るときは全力で叱ること。
「真心」を持って向き合い、しっかりと伝える「言葉」を持つこと。

・「今の自分」は「未来の自分」でもある、と受け止めること。
常にそれを念頭に、言動・行動を行うこと。

・「責任」とは何か、どういうことなのか、「責任」はその時の
立場などでも変化するもの。常に考え・理解すること。

・「親」とは死ぬまで・死んでからも子どもの絶対的な
味方であるということ。自分も将来、そういう存在であり続けること。
その覚悟と信念を持つこと。

・人は死ぬまで修行、死んでも修行。

様々なシーンでこれらの言葉(ほんの一部だが)を親から
投げかけられたが、私は、これらの言葉だけは決して
忘れられないのだ。

決して忘れてはいけない「人として生きる道」を
教えてくれている大切な言葉だと思うのだ。
親として子どもに伝えたい”全精力を込めた言葉”だと
思っている。

これらの言葉を親から伝えられたとき、その度に私はボロボロと
涙を流し、頭を深々と下げたことも絶対に一生忘れることは
ないであろう。

この私の親の言葉だけで、当時の世の中の裏付けをするものでは
ないのだが、親は子どもとしっかりと向き合い、寄り添い、
そして親と子ども・友達やその家族の方々・街や地域との
コミュニケーションが非常に暖かいものであったと思う。

お互いがお互いを尊重し合い、自然と寄り添うことが
できていたし、特に意識などせずに、コミュニケーションが
円滑に行われていたと感じるのだ。

私は何の疑いもなく、人と人とのこうしたコミュニケーションや
ふれあい・寄り添い、関係性などは「ごく普通のこと」と思っていた。

しかし、現代ではこの様相がかなり異なってしまっているようだ。

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

*「日出づる国の行方」Vol.7はこちら / Vol.9はこちら / 記事一覧はこちら

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