こんにちは、中里です。
昨日は「佐藤康行先生の下関講演会を終えて」という記事で、先週3月13日(日)に行われた佐藤康行先生の下関講演会のあと、関門海峡を臨む海岸線を歩いていったところまでを書きました。
幕末の名所旧跡という意味で、長州藩が外国の艦船を砲撃したという砲台跡を見に行こうと思ったのですが、運命の動きが僕に見せたのは、砲台ではなく、関門海峡の景色そのものでした。
雲間から射す光、そよぐ風、はるか遠くの空を舞う海鳥、海の向こうに霞がかって見える山々。そして、対岸の陸地には、そこで暮らすたくさんの人たちがいました。
長州藩が外国の四国艦隊に砲撃を行ったのは1863年とのことですから、それは今の時代から遡ること150年くらい前のことです。
おそらく、この時代でもここ関門海峡では、雲間から日が差していて、風はそよぎ、海鳥が舞い、海の向こうには山々が見え、たくさんの人たちが暮らしていたはずでしょう。
外国船に砲撃しようが、どんな戦いが起ころうが、もっと大きい枠組みで見たとき、大自然の営みは悠々と行われている。そして、生きている命がある。
また、それは関門海峡だけではなく、日本中、世界中、地球上のここでも、そこでも、あそこでも、はるか昔から変わらず続いてきたことだった。それを、関門海峡の風景から気づかされたのです。
もし、現代に生きる僕たちにそれを気づかせるため、かつての下関戦争があったのだとしたら? もしそうならば、あの時代、外国からやってきた軍艦も海兵も、外国人と戦った日本人も、みんな協力者だった。
あの日僕が見せられたのは、砲台ではなく、その背景にある大勢の人たちの魂の想いだったのでしょう。だから、運命の動きは僕にバスもタクシーも使わせず、海岸線を歩かせた。そう感じています。
<佐藤康行先生の著書>
『過去は自由に変えられる マジックミラーの法則』
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