どんな出来事にも意味がある?
「そんなはずはない」と自問自答の日々。
小学生のときに、「中学生に備えて勉強しなさい」と言われ、
中学生のときに、「高校受験が終われば、楽になるから」と言われ、
高校生のときに、「最後に笑うために、勉強する」と、
学校の先生の言葉に疑問を持つようになったのが、
気の遠くなる自問自答のはじまりだった。
社会人になったら、結婚に備えて。
結婚が終わったら、今度は子供の教育。
子供の教育が終わったら、老後に備えて……。
果てしなく続く、今の連続。
いつになったら、本当の意味で今を生きることができるの?
「今しかない」という言葉に、大事な今を犠牲にしている。
本当に今を犠牲にして、
自分の役割を全うできるのか。
高校時代、ベストセラーとなった『聖なる予言』を熟読。
体験してみれば、写本に書かれていることが理解できるとしても、
とても導かれているように思えなかった。
7年間ひきこもって、悩み抜いた答えが、
現実を変えるには、自分が変わるしかないということ。
頭で理解できても、心が追い付かなかった。
悩んで、苦しんで、踠いて、今、真実に辿り着いた。
嫌な過去の記憶、誰にも言えない心のトラウマ、
忘れたい現実、そのすべてが今の私を描き出している。
心の闇と向かい合い、
抱きしめることができた瞬間、
喜びと感動に満ち溢れていた。
15年間、生きる意味を問いかけてきたけれど、
真我に目覚めた瞬間、「私の中にすべての答えがある」ということを、
頭で理解するのではなく、魂の深いところで実感。
「最高の人生を生き切った」という地点から、
人生を見ていくのが未来内観。
一度、死に臨み、死から生を見ることで、
余分なものが削ぎ落とされ、
「本当の自分」だけが浮き彫りになる。
一番驚いたことは、「7年間ひきこもって良かった」と、
真我に目覚めた瞬間、これまでの自分を全肯定できたこと。
どんなにプラス思考を駆使したとしても、ふと力を抜いたとき、
「プラスに思おうとしても、どうしてもそう思えない」といった心が
外界の刺激によって、自然に湧き上がってきてしまう。
つまり、頭で言い聞かせるとは、
言い聞かせないといけない自分を
本質的に認めていることと同じ。
頭の表面で納得しても、
深いところで納得できない自分がいるから、
やればやるほど苦しんでしまう。
どんなに偉大な人の教えを学んだとしても、その人にはなれない。
あとから付け加えたものは、非常に脆い。
コンプレックスを抑え込み、
理想の自分をイメージするのには、
どうしても限界がある。
「明日、自殺しよう」とスピーチをされていた人が、
真我に目覚めると、嘘のように元気になっていく。
10何人といた、うつ病の人が一泊二日の講座で、
いきいきとエネルギッシュに変わっていく姿を見て、
「間違いない」という、確固たる確信が構築される。
すべての出来事は、
私のために存在するということを、
皮膚感覚で体感できたところが、一番の収穫だった。
*「7年間のひきこもりからYSカウンセラーへの軌跡」
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