中学3年生のとき、
合唱コンクールの課題曲を弾く、
ピアノの伴奏者として選ばれた。
*画像はイメージです
本当は、ピアノを弾けることを、できれば隠し通したかった。
女の子からは、「なんで弾けるの」と責められ、
男の子からは、「男らしくない」と言われ続けたからだ。
ヤマハの音楽教室に3歳から通っていたため、
幼馴染は、私がピアノを弾けることを知っていた。
ゆえに、友人が私をピアノの伴奏者に推薦。
音楽の先生から、「私は、この指使いで弾かない」と、
指摘を受けたが、手の大きさが全く違うため、全く役に立たなかった。
私は、指が小さいため、指に負担がかかるような曲は、
なるべく指に負担がかからないように、指使いを考える。
また、その指使いで、音の一音一音がいきいきしているか、じっくり吟味し、
最終的な指使いを決めて、それが再現できるように完成度を高めていく。
ピアノの先生からは、お墨付きをもらっていたが、
担任の国語の先生は、まるで音楽のことを分からなくて、
「100回、課題曲を練習してきなさい」とアドバイスした。
この出来事から学んだことは、相手の状況を理解しないで、
「相手に良かれ」と思って、アドバイスをする人がいるということ。
また、物事を習得していく上で、
先生はどのように生徒を導いていけばいいのか、
具体的に分かるようになってきた。
物事を習得している段階を
3つに分けた「守破離」という言葉がある。
「守」は、先生の言う通りやる段階。「守」というものを軽視して、
「破」と「離」をやりたがる人が多い。
「破」は、「守」を忠実に実践していくと、
クセのある自分を型にはめた瞬間、違和感を覚えていく。
「こういう意味でこういう形になっていた」ということを、
「破」を通して、学んでいく。
もがく段階がないと、
自己流の理解で終わってしまう。
「離」は、「守」が自分のものとなって、
自分そのものとして、正しいやり方ができる境地。
指導者に必要なのは、
相手の理解度を把握して、
道を究めるために必要なことを伝える能力。
間違いなく、道を究めた人は、オンリーワンを究めたことで、
その分野のスペシャリストになっている。
すなわち、オンリーワンになることは、
必然的にナンバーワンになることでもある。
指が小さい人には、小さい人の指使いがある。
目指す頂上は同じでも、登り方は無限にある。
ゆえに、目の前の人の力量を瞬時に感じ取り、
本質から外れないで、それぞれの個性を最大限発揮できるように、
導いていくことが、一番大切なことではないか。
孔子は、同じ質問でも、
その人の個性に合わせて、
答え方が違っていた。
質問という表現の形に囚われすぎると、
かえって、本質が分からなくなってしまう。
今、冷静に振り返ってみると、
どんな出来事も自分を輝かせるために、
必要な学びだったと感じる。
あの不条理だと思っていた出来事の本質が分かるようになると、
過去に執着しないで、今、目の前のことに専念することができる。
すべて自分にとって、必要なことしか起こらない。
それが実感として分かるようになってきた。
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