ピアノを弾き続けることと、
文章力を磨くことの本質は同じ。
愛の読解力と表現力を高めていくことが、
人間性を高めてくれる。
自分の気持ちを表現するようになって、
如何に普段、余分な言葉が多いか、
感覚的に分かるようになってきた。
余分な言葉が多いということは、
まだ理解が浅くて、分かっていない状態。
どんなことでも、相手の意識次元に合わせて、
変幻自在に表現できるように心がけている。
屈折した性格だったからこそ、
ひとつのことを多角的に表現できていることが、
分かるようになってきた。
性格をそのまま活かせるようになると、
認めたくない自分を、自然と認められるようになってきた。
その性格だから、気付けることがある。
勇気がないからこそ、慎重に吟味して、理解を深められる。
ひとつのことを徹底して突き詰めていくと、
同じ言葉で表現していても、もがいた経験が深さとなって、
自然と思っていることが、相手に伝わるようになってきた。
気の遠くなるくらい、同じことを継続できるのは、
自分の変化を認めてきたからだ。
亀のような継続力とウサギの素早さを兼ね備えると、
行動力は、大きく加速される。
少なくとも、これだけは言える。
成功するか失敗するか考えているうちは、
今に集中していない。
厳密に表現すると、
考えていることに集中していて、
それが観念的になって、分かったつもりになってしまう。
行動した結果から理解を深めていくと、
勝手に妄想が膨らむことはない。
小学校5年生のとき、
まだ指がピアノの1オクターブ全てに届かない状態で、
モーツァルトの『トルコ行進曲』を発表会の課題曲に選んだ。
指が伸びなかったら、
どうしようとか悩むことなく、
弾きたいから練習した。
まだ起こっていない未来を予測して、
指が伸びなかったら、どうしようと悩んでいたら、
間違いなく、何もできないまま終わっていた。
これまでの経験に囚われることなく、
心の赴くまま、宇宙の慣性に沿っていくことが、
最も自分に対して、誠実な生き方のように感じる。
*「7年間のひきこもりからYSカウンセラーへの軌跡」
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