おはようございます。
この冬、
健康に良いとされている
「頭寒足熱」の
反対の状態になりがちな
中里です。
さて、あなたは昨日の記事、
愛のビッグウェーブが迫っている
をお読みいただきましたか?
今朝はその続きです。
『湯川秀樹とアインシュタイン』
に書かれていることから、
現代へのつながりを
見ていきます。
湯川秀樹博士と
アインシュタイン博士が
最初に出会ったのは1939年、
アインシュタイン博士の
亡命先である
アメリカでのこと
だっだそうです。
この時の出会いは
ほとんどすれ違いの
ようなもので、
あまり深い話は
できなかったのではないか?
と思われます。
本格的な出会いは
その約10年後、
1948年9月からの
1年間にあったと
されています。
1948年と言えば、
すでに第二次世界大戦は
終結した後、
それは広島と長崎に
原爆が投下された
後であるわけです。
そのタイミングで
湯川博士に
アインシュタイン博士は
何を語ったのか?
その内容が、
湯川博士が亡くなる
直前の文章として
この本に
遺されていました。
以下、引用です。
アインシュタイン博士は、
私と私の妻の手をとって
言ったのでした。「ドクター湯川、
そしてマダム湯川、核兵器全廃のために、
私たちは全力をあげよう。そしてその方法は、
世界が一つになること、一つの連邦国家と
なることしかない」と。博士は亡くなり、
その願いは
私たち夫婦に託された
かたちとなりました。そして病気がちの
私にかわって、
妻がいまそれを
担っています。(P151より引用)
この記述に、
僕は改めて
大きな衝撃を受けました。
核兵器全廃の方法は、
世界が一つになることだと
アインシュタインは
言っていた。
そして湯川博士が
死の直前にこのことを
文章に遺したのは、
後世を生きる
僕たちへの
メッセージである、
そう思うわけです。
世界を一つにして
世界平和を
実現する方法。
それには、もはや
真我に目覚めるほか
ないでしょう。
アインシュタイン博士は
大正時代に、
ノーベル賞受賞とともに
来日していました。
そしてその後、
ナチスドイツの迫害を受け
アメリカに亡命。
アメリカによる
原爆開発と無関係では
ありませんでした。
さらにはまさかの
広島、長崎への
原爆投下。
また、詳しくは
触れませんでしたが、
湯川博士も戦時中、
日本海軍による
原爆開発の初歩段階に
かかわっていたそうです。
これらが
すべて偶然でしょうか?
いえ、
僕にはとうてい
偶然とは思えません。
先人たちの
平和への想い、
そして
戦争で亡くなられた
すべての人たちの
魂の想いが、
いま本当に
世界人類に
「平和に目覚めなさい」
「真我に目覚めなさい」
と、メッセージを
送ってくれている。
そんな気がします。
だからこそ
いま、
世界が危なくなって
きているこの時に、
佐藤康行先生の本、
『地球上から戦争を消し去る方法』
がこの世に現れてきた。
そう思うのです。
さぁ、
ここからが本番です。
さらなる展開が
あなたを待っています!
それではまた
お会いしましょう。
今日も一日、
「真我の実践!」
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