箸と遣隋使
皆さんが食事の時に使う「箸」。
箸を使うという文化が日本で始まったのはいつ頃からなのだろうか。
「箸」は、飛鳥時代、大和朝廷の聖徳太子の命により派遣された
“遣隋使”によって持ち帰られたものだとされている。
“遣隋使”と言えば、小野妹子という人物が有名だが、皆さんはご存知だろうか。
かなり余談になるが、この小野妹子についてまずは触れさせていただきたい。
この人物も聖徳太子と並び、謎が多く、書物の記録などがほとんどないとされている。
その記録が残る僅かな書物の中に『隋書倭国伝』があるのだが、この中で小野妹子が
隋(中国)の煬帝に対し「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と
送った内容などが記されている。
他には、遣隋使について書かれた唯一の書物『日本書紀』にも一部記録が残っているが、
はっきりとしたことまでは書かれていない。
この小野妹子という人物、謎に包まれているということはわかるのだが、
これほどまで日本の歴史に名を残した功績とは一体何なのだろうか。
まず当時、強大だった隋に対し何ら物怖じせず、倭国(日本)を同等に扱うよう要求し、
積極的且つ勢力的な外交を展開したことが挙げられる。日中外交の元祖と言えるのだ。
そして、隋の政治や文化・仏教などを持ち帰り、それまでの朝廷政治に
大きな変革をもたらしたことなども挙げられるのではないだろうか。
ほとんど知られてはいないようだが、華道家元池坊の始祖でもある。
「華道」の元を造ったのがこの小野妹子だということなのだ。
非常に頭が良く、知性に優れ、発言力や行動力があり、
信頼されていた人物と想像ができる。
現代の日本人と箸の関係
ようやく話を元に戻すが、この遣隋使によって持ち帰られたものの中に
「箸」が入っていたと言われており、日本の公の儀式の場で箸を初めて用いたのが、
聖徳太子と言われているのだ。
箸というものは日本の食卓では当たり前に使用される道具だが、
それもそのはずで、そもそも和食というのは箸を使うことを基本に
創作・発展してきた料理である。
その中心に存在する「米」の影響は非常に大きいと言えるだろう。
しかしながらここ最近では、ナイフやフォークを使う食事が増え、
1日の中で1度も箸を使わずに食事を済ませるケースも少なくないそうだ。
実際、正しい箸の持ち方を知らず、なんとも「汚い」「不格好」な箸使いをする人が
目に見えて増えてきているのは確かだ。食習慣と食文化の変化が大きな要因だが、
何とも悲しいことではないか。
当時、船を造る大した技術もなく、ましてやエンジンなども積まれていない船に乗り、
命がけで海を渡り、危険を省みず、日本の文化発展の為に尽くした方々がいたからこそ、
花開いてきたものだというのに。
外国の方々が、日本の箸をお土産にしたり、箸の使い方を一生懸命覚えようとしたり、
箸を使って和食を食べることを楽しんだりしている中、
日本人はどんどんとそこから遠ざかってきているのだ。
箸は食事をするだけのものではない。日本では人が死んだ時、火葬する習慣があるが、
その故人を火葬した後、そのお骨を二人一組で竹箸で「骨上げ」し、
「箸渡し」(三途の川の橋を渡すお手伝いをするという意味がある。)をして
お骨を骨壺に納めるという風習がある。
日本人というのは、死んでから三途の川を渡るまで「箸」と深い関わりがあるというのに、
このままではいつの日か、フォークやスプーンでこの最期の儀式が行われる日が
来てしまうのかもしれない。