日出づる国の行方(Vol.4)~平安仏教と食文化~

平安の仏教伝来

平安時代、唐(現中国)に渡り、日本に仏教を持ち帰った人物がいる。
真言宗の開祖/空海(弘法大師)、天台宗の開祖/最澄(伝教大師)だ。

知っている方も多いと思うが、真言宗は密教とも呼ばれ、
金剛界曼荼羅で仏の根本世界(宇宙)を表し、その中心となる仏が
大日如来とされている(総本山/高野山金剛峯寺)。

天台宗は念仏系と法華系に別れた歴史があったともされているが、
台密と言われる密教系の色が非常に濃いように思われる。
しかしながら、そもそも最澄が最も重んじたのは法華系
(法華経/妙法蓮華経)であり、仏教そのものを開いた釈迦如来を
本尊とする考え方が強かったはずだ(総本山/比叡山延暦寺)。

この二人が日本に持ち帰った仏教の教えは、
後に鎌倉時代に誕生した浄土宗(法然)や曹洞宗(道元)、
日蓮宗(日蓮)などに多大な影響を与えることとなる。

奈良時代~平安時代の食文化の違いと、現代

空海、最澄が持ち帰ったものは、仏教だけではなかった。
その、教えの中には「食 」に対する考え方も含まれており、
当時の文化にも影響を与えていたのだ。

平安時代の食事は、奈良時代とさほど変わらなかったとも言われているが、
調理の仕方や栄養面を重視するよりも、その見せ方や見栄えの方を
重視していたと言われている。

要は、儀式や形式を重んじる傾向が強くなっていたということだ。
今までの青銅などで作られた食器以外に漆器が登場したことからも、
その一端を垣間見ることができるのではないだろうか。

また、牛乳を摂取する量も奈良時代とは比較にならないほど
増えていたとされており、貴族や一般的な農家においては
家畜が相当普及していたものと考えられる。

非常に豊富な種類の食物を口にし、様々な形で栄養を摂取することが
可能になった時代と言えるだろう。

しかしながら、奈良時代以降、仏教文化の影響により「肉食の禁止」が
皇族や貴族の間では広がっており、675年天武天皇が
「五畜の肉を食することと狩猟することを禁ずる」と国内で初の肉食禁止令を
出してから平安時代の終り頃までは、その風潮が残ることとなった。

ただ、これはあくまでも皇族や貴族に広がっていただけであり、
一般庶民にはそれほどまでの影響力はなかったとされている。
肉食が禁止されたことにより、当時の日本人の骨格形成や
体型に悪影響を及ぼしていたとする説もある。

現代の日本ではどうだろうか。
「肉食禁止」どころか、肉食中心の生活を送るものもやはり多く、
ここ数年では”食を見直そう”という動きの中で「野菜中心」を
唱えるものも増えているようだ。

マクロビオティックやスローフーズ、オーガニック、ロハス、菜食主義、
ベジタリアンなど様々な言葉が生まれ、定義がなされてきているが、
イマイチ私にはピンとこない。

というよりも、何を主張したいのか・何をしたいのか・何がどう違うのか
よくわからないのだ。ブームに乗せることにより、どこぞの誰かさんが
金儲けをしようとしている、その一環にしか映らないのだ。

こういった類いの書物や雑誌にはよく「食の原点に立ち返り」などと
書かれているが、食の原点とは何なのだろうか。
日本では縄文時代、食事は狩猟によって賄われていたことからすると
「肉食」が日本の食の原点なのではないだろうか。

「食の原点」という言葉自体を美化し、その背景や歴史も知らず語らず、
ただブームに乗せる。そしてそのブームに乗る。
挙げ句「私はスローフーズ生活にハマってる」「マクロビオティックってイイね」と
語ってしまう。

それらを普及する財団法人や協会、資格制度まで作られてしまう。
何かが、どこかがおかしいと感じるのだ。方向性が違うと感じるのだ。
表面だけ、上っ面だけの「食」を語るのはいかがなものかと感じるのだ。

ある意味、危険な流れであり、風潮だと私は感じている。
「食」を語るのはそんなに簡単なことではない。
これは私も含めて、それ相応の覚悟も必要なことなのだ。

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

*「日出づる国の行方」Vol.3はこちら / vol.5はこちら / 記事一覧はこちら

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