日出づる国の行方(Vol.6)~鎌倉時代の農業と食文化、そして現代~

鎌倉時代の農業と食文化

今回は、貴族文化から武士文化へと移行した、
「鎌倉時代」の食文化について触れてみたい。

鎌倉時代は1185年~1333年までおよそ150年間続いた、
鎌倉幕府を中心とした武家政治の時代を言う。

鎌倉時代は、農業に使われる農具・農機具や農業技術全般が
発達した時代だと言われている。

例えば、肥料の発達に伴い、今まで使用していた犂(すき/長圧すき)では
土を深く掘ることが難しくなり、鍬(くわ)や鎌(かま)などの農具が発達し、
人力に頼っていた農作業に牛馬が利用されるようになったため、広い面積を早く、
効率的に耕すことが可能となったのだ。

また、灌漑(かんがい)施設の発達もあり、川近くや平地だけでしか
行えなかった稲作が、水路や水車などによって、様々な条件の土地にも
水田が開拓されるようになった。

これにより、後に力を蓄えた農民が「豪族(武装農民)」と
呼ばれるようになったと言われている。

では、まず最初に貴族と武士の食事の違いを見てみよう。
1日の食事回数だが、貴族も武士も2回。武士に関しては、戦のときには4~5回程度。

主食は、貴族は白米で武士は玄米。副食は貴族は肉が少ない保存食中心で、
武士は野菜や肉。品数が多いのは貴族だった。

内容自体は、武士の方が健康的で合理的且つ質素なものであり、貴族は形式的で作法を
重んじた偏り気味なものであった。特に貴族は、魚介類や野菜などに、調味料(塩)で
自分好みの味付けをして食していたとされている。

種類そのものは多かったようだが、魚貝類や肉類の多くは干物など
加工されていたものが中心だったようだ。

先に述べたが、貴族の食事は「形式」を重んじる傾向が強かったため偏りが多く、
迷信なども強く信じられていたことも重なり、非常に不健康な食事であった。
また、室内中心の生活で運動不足も顕著だったようだ。

一方、庶民は質素でありながらも、玄米を中心とした非常に健康的な食事だったとされている。
鎌倉時代の特徴的な食べ物としては醤(ひしお/食品を麹と食塩で発酵させた調味料や食品。
味噌や醤油。)と梅干しが挙げられる。

調理の仕方は焼く・煮る・蒸すという3種類が基本で、今のように冷蔵庫が無い
時代であったため、塩漬けにしたものや乾燥品が中心だったようだ。箸もこの時代から、
現代のような形になってきた(二つに分かれたもの)と言われている。

現代食文化に出現している奇妙な風潮

ここまで、簡単ではあるが鎌倉時代の農業や食事を見てきた。
現代、「無農薬野菜」や「有機野菜」などが注目をされており、それらを提唱する方々の
論調をみてみると、「肉食を避け、〝無農薬・有機野菜中心の生活〟を忠実に取り入れて、
本来の人間の姿を取り戻そう(体の中から健康になろう・美しくなろう)というものだ。

この考え方に共感する方々は増加傾向にあると言われている。
この中心が「30~40代の女性」だそうだ。

こういった方々は「食の原点への回帰」と提唱しているようだが、「原点」という意味は
鎌倉時代で言えば、武士のように〝質素〟なバランスのとれた食事を指すのか。

それとも貴族のように〝豪華には見えるがあくまでも形式を重んじる〟偏り気味な
食事を指すのか。恐らくはこのどちらにも当てはまらないのであろうが、どちらかといえば
貴族の食事に近いとは感じる。

また「回帰」とはどのような意味で使っているのだろうか。
ひとまずのところ、「鎌倉時代へ」ということではなさそうだが……。

なぜなら、このような方々が提唱しているのは〝質素な食事ではなく、肉を絶ち、
無農薬・有機野菜を中心とした非常に偏りのある食事スタイル〟であり、
鎌倉時代とは似て非なる全く異質なものだ。

彼らの言う「食の原点への回帰」とはいつの時代のどのような食事を指しているのだろうか。
ぜひ、はっきりとわかりやすく、具体的に教えていただきたいものだ。

現代の日本人は、日に3回の食事を摂り、肉や野菜・魚、加工品等々様々な食事を
とることが可能となったが、バランスは決して良いとは言えないだろう。
好きなものだけを摂取する傾向が強くなっており、高額で豪華な偏食生活を
続ける方々も非常に多い。

こういった現代の人間の風潮を敏感に察知し、「食の原点への回帰」「自然に帰ろう」
「有機野菜や無農薬野菜を中心に食べよう」などと提唱する方々が急増したと
私個人は強く感じている。

言葉悪く言えば、健康な体を取り戻す云々と言うよりは、あくまでも「ビジネス」として
無農薬野菜や有機野菜を普及させようというのが真の狙いだと私は感じている。

こういった方々が提唱するスタイルというのは、おおよそ傾向が似通っており
「肉食=悪、菜食/魚食=良」を基本としている。
だが、ちょっと待って欲しい。

「食の原点への回帰」云々の指し示す時代的なものについては、ここでは無視するとして、
縄文時代から弥生時代初期までは、狩猟中心による肉や魚が中心だったはずだ。

特に肉は、豊富な動物性タンパク質を含む活力源として、その比率自体は魚よりも
高かったのではないか。狩猟(完全なる肉体労働ともいうべきか)は、常に過酷な状況であり、
命懸けの〝仕事〟であり、生きるための全てであった。一日中ずっと獲物を追い掛け、
野山を歩き回り走り回ったのだろう。

だからこそ、活力源となり、持久力を保てる肉を食べなければならなかったのだと
容易に想像ができる。戦に出陣する武士なども、肉などを含め、魚や野菜・米など
バランスの良い食事でその鋭気や集中力を高めたと言われている。

いずれにしても、当時の食事が無農薬野菜や有機野菜を中心とし、健康法・美容法的な
意味合いなど皆無であったということは紛れもない事実だ。
「生きるために」必要なものを必要な量・バランスで摂取していただけなのだ。

とすれば、人々が生きる糧となる活力源やエネルギー源とは一体何なのか、
どのような食事を摂らなければならないのか、おのずと答えは出てくるだろう。
「今の時代は狩りをしたり、戦があるような時代じゃないのだから」と言うであろうが、
そんな屁理屈は全くの筋違いである。いつの世も人間は常に何かと戦っている。

そしてそれは個々人で異なり、様々変化する。もしかしたら、現代は鎌倉時代よりも
生きるのが大変な世の中かもしれない。

人間は本来、栄養バランスをしっかりととった上で成り立ち、生きることが可能となる動物だ。
「肉を絶ち、無農薬野菜や有機野菜を中心にすれば、体の内部から美しく健康になり、
人間の本来の姿に戻る」など、本来の人間の姿に戻るどころか、生きる糧のバランスを崩し、
本来の姿からますます遠のいていくだけなのではないだろうか。

「今を生きるための食事」を考えよう

今のこの世の中は、鎌倉時代とは違った「生きる力」というものが必要だ。
その時代、その時代で食事の中身は変化・進化してきてはいるが、「バランス良く」という
根本原理は何ら変わることはない。

人間は、バランスのとれた食事をしなくなると、様々な弊害を起こす動物だ。
病気や精神崩壊(鬱・無気力・無機質・倦怠感等々)、犯罪や暴動等々挙げればキリがない。
食事は〝人間が生きる全ての源〟だ。どんなにきれいごとを並べても、
偏った食事であれば結局は〝百害あって一利無し〟である。

「体をきれいに」「体を美しく」「体を大事に」……。
大変響きが良く、心地よい言葉ではある。

が、しかし。

「今を生きるための食事」とは何なのか。
「今を生きるための食事」には何が必要なのか。何が欠けているのか。

この時代、〝まやかし〟など誰も欲していないし、通用などしない。
だが、これらをきちんと判断する目や思考力は、偏った食事をしていては
到底養うことなどはできないであろう。

私は「今を生きるための食事」をしっかり見つめ、考え、
ブレることなく、生きていきたい。そう思うのだ。

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

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