日出づる国の行方(Vol.13)~戦国時代vs現代、食文化の壁(前編)~

2013年最初のコラムとなるVol.13では、
「戦国時代の食文化」について触れながら、現代の食文化の
一つとも言うべき「コンビニ弁当」について触れてみようと思う。

まず、戦国時代とは、15世紀末~16世紀末にかけて戦乱が
頻発した時代区分を言う。乱世により室町幕府の権力は完全に失墜し、
守護大名に代わって全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が出現した。

ほぼ恒常的に相互間の戦闘を繰り返すとともに、領国内の土地や人を
一円支配(一元的な支配)する傾向を強めていった…。

では、この頃の食文化とは一体どのような姿だったのだろうか。

現在では、日に3食(朝/昼/晩)の食事が基本ではあるが、
当時は日に2食(朝/晩)が基本であった。
量も多くはなく、非常に質素なものであった。

しかしながら、世は戦(いくさ)の日々。

戦の際だけは、武士達は日に3食(朝/間食/晩)の食事を
摂っていたとされている。当初は「食糧は敵地で略奪する」ことが
平然と行われていたが、”征服後”を考え徐々にそういった略奪行為は
行われなくなったそうだ。

そうした流れにより、兵糧(陣中食)は自分で戦地へ持参し、
合戦に挑むようになったと言われている。

どのように持参したかと言うと、布で腰に巻いて、縄で腰に
ぶら下げるスタイルだったそうだ。

中身はと言うと、
「餅(もち)」や「炒米(いりごめ)…玄米を炒めたもの)」

そして、
「干飯(ほしい)…米を炊いた後、一度水洗いをし、乾燥さ
せたもの。現地で湯を入れて食べる。インスタントラーメン
の“米バージョン”のようなイメージ」など。

調味料は、味噌が重宝され、煮豆をすりつぶして、麹(こうじ)
と一緒に袋に詰める。戦地へ着くころに、丁度よく味噌になっている
といった具合だ。

これを「陣立味噌」と呼ぶそうだ。

それから、芋(里芋)の茎を味噌で煮詰め、乾燥させ、縄に編んで腰に巻く
「いもがら縄」というものもあり、もっともポピュラーなものであったという。

「梅干し」も貴重な携帯食糧であり、息を整えたり、胃の調子を整えたり、
飲料水や傷口の消毒、それから喉の渇きに対する唾液分泌促進にも
用いたと言われている。

時代劇などでもよく出てくる「湯漬(ゆづけ)」というものもあり、
今で言う「お茶漬け」のイメージになるかと思われる。

ただ、湯漬は、ご飯を盛る前に一度お湯で洗い、その後、お茶碗に盛って、
さらに白湯をかけるので、現代のものとはかなりかけ離れた
「お茶漬け」と言えるだろう。

食べ方にもルールがあり、ご飯だけを食べ、お湯はすすっては
いけないとされていた。

これら以外には、
「煎餅(せんべい)…そのまま食すか、湯を入れ、煮たりして糊化させて食す」
「干物(ひもの)…燻製や漬物などの保存食」
「兵糧丸」、「納豆」、「高野豆腐」、「切干大根」、「素麺・うどん」、
「鶏卵」、「獣肉」など、様々なものが挙げられる。

戦地での食事は、普段よりも豪勢と言われており、1日玄米5合が
決まりだったそうで、「人数10人につき、1日米1升、味噌2合、塩1合。
1人朝2合5勺、夕2合5勺、中食2号5勺、残り2合5勺は不時の食」で、
残り「2合5勺」というのは、常時一食分は握り飯にして、
いつ何がおきても直ちに行動ができるように用心していたのである。

常につきまとう「緊急事態」に備え、武士たちは個々に考えた
非常食を携行し、身構えていたのである。

これらを踏まえ、次回のコラムでは現代の食生活についても
触れていきたいと思う。

 

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

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