日出づる国の行方(Vol.15)~戦国時代VS現代、食文化の壁(後編)~

前回の中編に引き続き、今回も便利さが追求された現代食の象徴である
「コンビニ弁当」を通じ、戦国時代と比較することで食の重要性についての
核心に迫ってみたいと思う。

コンビニ弁当は、製造工場内や出荷する際に「消毒・殺菌」のため、
大量の消毒剤が使用されており、弁当に封をする際には、スプレー
消毒液を弁当パックや食品にふりかけているそうだ。

 

*画像はイメージです

 

工場内で勤務したことがある方曰く「消毒液の臭いがあまりに
きつく、コンビニ弁当は正直食べる気が失せる」との声もあるほどだ。

私が、何を言いたいのかおわかりいただけるだろうか。
なぜ、例として「戦国時代」と「コンビニ弁当」なのか。

以前のコラムにも書かせていただいたが、現代もまさに「戦国時代」
であり、現代人も皆それぞれに常に何かと戦っている状態だ。
現代人は、「戦国時代」よりもある意味過酷で異質な“戦い”を
常に強いられているのではないだろうか。

だからこそ「食」の重要性を再認識すべきなのではないのだろうか。
再認識しなければいけないのではないだろうか。

戦国時代の食文化を見ると、あらゆる知恵を絞り、様々なシーンに
対応できるように創意工夫を怠ることなく「食」そのものへの
こだわりは決して忘れてはいない。

それも、しっかりと「健康面」「精神面」に重きが置かれ、
非常に優秀な食材を、非常に優秀な保存方法で活用している。

現代の「コンビニ弁当」はどうなのだろうか。

確かに、いつなんどきにおいても、おいしい食物を口に入れられる
ようにはなった。科学や技術の進歩の賜物なのであろう。
が、味付けも保存の仕方も何もかもが“人工的”であり、
「自然の力を借りる」「自然の力を利用する」といった類のものが
一切存在していない。

「自然の力」どころか「人間の力」で「自然の力」を
コントロールしてしまっているかのようにも思える。

これだけたくさんのものに溢れ、世界でも有数の裕福・贅沢三昧の国
「日本」というのは薬品を使わなければならないほど“気を使った食品”を
食べることに、何も感じることはないのだろうか。

そこまで、食や食事に対しての意識が低いのだろうか。
そうだとすれば、あまりに「節操がないのではないか」とまで
思ってしまうのだ。

「戦国時代」というのは、食事の意味や重要性について
深く追求されており、それに対する的確な調理法や保存法が開発された。

では、なぜ現代は「薬品」等々を使わなくてはならないのだろうか。
なぜそこまでしなくてはならないのだろか。

人間自体が、自然の力を素直に受け入れることができなくなり、
それを上回ることに精を出すようになってしまったのだろうか。
人間の都合だけを自然に求めるようになってしまったのだろうか。

いや、人間と自然の会話や対話が
なくなってしまっただけなのだろうと思う。

あくまでも、人間が自然を軽視し、理解などしようともせず、
破壊を繰り返してきた結果なのだろうと思う。

自然は、遥か昔から人間に様々な知恵を授けてきた。
が、それに対し、人間は少しずつ“恩を仇で返す”ようになってしまった。

いい加減そろそろ、また自然としっかりと向き合わうことを始めなければ、
人間の未来など決して拓けることなどないのであろう。

 

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

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