7年間のひきこもりからYSカウンセラーへの軌跡(Vol.10)〜真我開発講座 真我プロカウンセラー実践養成コースを受講して〜

相手が何を言ってきても、カルマを相手にせず、真我だけを見ていくと、
目の前の人は悩んでいなかったことに気付いていく。

例えば、メガネが曇っていたら、どこまでいっても、
目の前に見えるものは、曇って見える。

悩んでいる状態が不完全な心だとしたら、
完全なものも不完全に見えてしまう。

完全から不完全なものを見ると、
不完全に見えていた完全さが見えてくる。

分かりやすく表現するなら、
目の前の人の完全を求めるのではなく、
完全性を見ると、真我が映し出されていく。

もっと身近な例では、
学校の先生が、生徒を問題児として扱うのではなく、
素晴らしい生徒だと接していくと、問題行動を起こさなくなる。

目の前の人が、一体何者で何を聴くのかで、
相談者の反応は、全く変わってくる。

あなたは、既に完全で完璧で、何ひとつ迷っていない。
目の前の人は、神そのものだと思って聴くところが、
YSカウンセリングの真骨頂。

私の例でいうと、両親が真我に目覚めることによって、
ひきこもっている私に対して、「それが間違っている」という、
責めるエネルギーが消えて、ひきこもりから立ち直ることができた。

100kg以上ある私を見ても、それに全く動じることなく、
私の存在そのものを認めてくれるのが、ひしひしと伝わってきた。

条件づけの「~をすればあなたは愛するけれど、
そうしなかったら愛さない」という雰囲気でいくと、
本当に悩んでいる人は、心を開かなくなる。

もともと問題はないのだから、
そのように接していくと、問題が消えていく。

相手を救おうとか、何かを教えてやろうということ自体、
神を冒涜していることだと再認識。

「自分のことを解決しよう」という見方から、
「相手のことを分かってあげよう」とする、
生き方のエネルギーの転換こそが、
YSカウンセリングを実践していくことだと実感した。

 

by YSカウンセラー 瀧本裕喜

*「7年間のひきこもりからYSカウンセラーへの軌跡」
Vol.9はこちら  /  Vol.11はこちら   /  記事一覧はこちら

 

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