檻の外に放たれなければ、真の時間の効率化はない

おはようございます、中里です。

お気づきの方もおられるかも知れませんが、このブログでお伝えしている時間活用法は、表層的なテクニックにならないように意識しています。

確かに、以前は僕も時間の効率化や短時間化のテクニックに走った時期もありました。むしろ、そういったノウハウがありがたく感じた時期もありました。

短期的には、そういった方法論も役に立ちましたが、しかし、長期的に見た時にはどうでしょうか?


実を言うと、いくら効率化を進めたところで、それは僕にとって嫌なタスクを早く終わらせるための方法論でした。

ですので、たとえ自分以外の誰かに喜んでもらったとしても、僕自身の心は全く喜んでいませんでした。

自分の心、そして魂が喜ばないことを、どう効率化したところで意味がないのです。長期的に見た時、自分がやっていることの意味を考えずして、そしてその本質を知らずして、単に効率化を求めることはむしろマイナスなのです。

例えば、あるビジネスマンが大企業で働いているとしましょう。

その時に、会社組織が抱える問題点が見え、抜本的に効率化できる手段に気づいたとしても、その組織自体が真にその変革を求めているかどうかは別問題です。

時間の効率化や、ライフハックについての情報は、感度の高い方々を筆頭にとても求められています。しかし、そういった感度の高い情報を求めている方こそ、さらにご自身の殻を破っていただきたいのです。

真の変革とはそもそも、表層的なテクニックの中にはありません。もっと根源的に、自分の生きる意味や、この世に生を受けた理由を徹底的に探求してほしいと思っています。

そうでなければ、いますでにこの世の中にある価値観の従属者になってしまうのは、自明の理なのです。

これは、難しい話ではありません。シンプルにとらえれば、受動的なのか、能動的なのかの違いに過ぎないからです。

エネルギ—の向きが受動的な時、いくらクリエイティブな発想をしようとしても、どうしても制限がかかってしまいます。それは、そもそも一定の方向性を与えられてしまっているからです。

では、能動的な場合はどうでしょうか? 自己発信していくわけですから、そのエネルギーが向かう先は、全方位、どこでもいいわけです。そう、能動的な動きにこそ、自由が存在しているのです。

ここでお伝えしたいのは、自由がいいとか悪いとか、受動的であることと能動的であることのどちらが優れているかといった、比較論的なことではありません。

そうではなく、受動的な場合は、いくら時間の効率化を叫んだところで、できることには自ずと限界があるということなのです。なぜなら、受動的である以上は、既存のルールの中で方法を考えるしかないからです。

反対に、真に能動的になった時には、自由であるがゆえに既存のルールは破棄せねばなりません。

それは、いわばあなたが檻の外に放たれるようなものです。そういった状況に直面することを望むのか、どうか? そこから考えなければ、時間をどのレベルで効率化するのか、本来は問えないのです。

僕がそう考えるに至ったのは、この「法則」について学びを深めたからです。「部分」ではなく、「全体」からの発想が身に付きます。
『満月の法則』

それではまた明日!

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