「日出づる国の行方」(Vol.1)

3世紀に存在していたとされる邪馬台国の卑弥呼は倭国(現在の日本)を
「日出づる処」と呼び、これが国名である「日本」になったという説がある。

当時の人々は、田を耕し、稲作を行い、米を食していたとされている。
この時代からすでに、日本人と米の深い関係が始まっていたのだ。

今回は、およそ1800年も前から日本人が食していたとされる「米」の話から始まり、
そこで発生している問題などを提起していきたいと思う。

太古の昔から、様々な苦労と改良を重ね、今、私たちが“当たり前に”食している「米」。
皆さんはどんな思いで食しているだろうか。私はきれいごとを言うつもりなど一切ないが、
やはり「食べられることに感謝」の一言に尽きる。

今こうして、さも当たり前かのごとく食している米の歴史、その時代にあった生活、
そして作る人たちの思い。諸々これらをしっかりと受け止めることができるのであれば、
果てしないロマンと壮絶なストーリーが頭の中に展開されるはずだ。私はそう、思う。

ここで、考えてみたいのだが、今ある「当たり前」は本当に「当たり前」なのだろうか。
昨年2011年3月11日、東日本を襲った大地震により、国内最大級の米の産地である、
宮城県・福島県が広域にわたり地盤沈下や津波による塩害を受けてしまった。

そして、原発による放射能の実害と風評被害。
今なお、復旧・復興のメドが立たず、途方に暮れる農家の方々はどんな思いであろうか。
私たちが「当たり前のごとく」食している米が、今、最大の危機に見舞われている
ということを、本当に私たち一人一人が理解しているのだろうか。

米だけではない、日本の農産物・海産物全ての危機であると理解しているのだろうか。
福島県・宮城県は海産物の宝庫でもあり、それら加工品の宝庫でもあるのだ。

つい先日、東京駅の地方物産専門店で働く友人からこんな話を聞いた。
「〇〇産ではなく福島産のは置いてないんですか?」と、
産地が被災地のモノを指定して買っていく方が実は多いと言うのだ。

そして皆「私達が力になれることはこれくらいしかないですからね」と
一言添えて購入していくんだ、と。

ただ、その一方では、被災地産の野菜や魚、加工品からすべてのモノに対して、
拒否・拒絶・反対の姿勢を貫く方々が日本だけではなく、
世界中に存在してしまっているのも事実。

これらの反応については、私は、どれも正しいと思っている。

理由はいたってシンプル。
国が、正確な情報を把握せず、公表せず、満足のいく説明・対応もせず、
国民を混乱に陥れた罪は非常に重い。

それに追随するかのごとくマスコミも、国に対して徹底追及することもなく、
ただただ国民に恐怖心を植え付けるかのような記事や
論説だけを展開し続けただけなのだから。

今、拒否・拒絶・反対をしている方々の大半は
「とにかく今はまだどう判断すれば良いかわからないから、
まずは正確な判断ができるような状態になるまでは仕方がないんだ」
という考えを持っているはずだ。

こうして国民の大多数が混乱する中、被災地の方々の熱い想いや血のにじむような努力、
復興にかける想いや大切な人を一瞬で失った深い悲しみ、涙ながらに語った真実を
しっかりと受け止め、理解し、行動に示している方々がいるということは、
非常に喜ばしく、素晴らしいことだ。
私はこれが、真の日本人の誇り・真心・美学であると信じている。

もし私から一言だけ、拒否・拒絶・反対を貫く方々に言わせていただくとすれば、
「真実はどこにありますか?真実とは何ですか?拒否・拒絶・反対をして
待っているだけで本当に真実は見えるのですか?それは真実なのですか?」
とだけ言わせていただきたい。

“国”というものは、もし一部地域が破壊され、壊滅的な被害を
受けてしまった場合であっても、あくまでも”国”として見られ、
“その一部地域だけ”がクローズアップされることはほとんどないのだ。

国のある一部地域で起きた災害や危機を最小限に食い止めるためには、
国の対応は当然のことながら、国民一人一人の理解と気持ち、
そして一致団結した協力と行動しかない。
これができなければ、国は滅ぶのを待つだけとなってしまう。

国任せ、人任せだけでは絶対にダメなのだ。
今までは、当たり前のように食していた米や魚・加工品などが、
今や「当たり前」とはかなりかけ離れた遠い存在になってしまったような気がする。

私は「当たり前」という言葉は好きではないが、
今はこの「当たり前」がどれほど素晴らしく、
幸せなことであるかを改めて考え直してみようと思っている。

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

*「日出づる国の行方」Vol.2はこちら / 記事一覧はこちら

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