日出づる国の行方(Vol.5)~真の自由を掴む日~

今回は余談的に書かせていただくが、
いつもの「食」に関わるテーマではなく、「自由」について。

「自由」とはそもそも一体何なのだろうか?どういう意味なのだろうか?
現代の日本人が間違って捉えているであろう、この「自由」について書いてみたい。

まず、現代の日本人が「自由」=「好き勝手・自分勝手」と捉えている傾向が
非常に強いということを、私個人として大きな懸念を抱いている、
とだけ先に述べさせていただきたい。

「自由」の意味については、辞書なりwiki等々で各人お調べになっていただきたい。
私は「〇〇は辞書にはこう書いてある。」というようなコラムを書くつもりは一切ない。
そんな内容であれば、辞書を読めば良いだけのことであり、このコラムは読む方々に
どんな形であれ、少しでも考えていただける場にしたいと考えているからだ。

自由とは。勝手とは。

では早速、本題に入りたい。

私がよく見かける電車の車内での光景や出来事を例に考えてみたいのだが、
朝夕のラッシュ時に混雑した中で携帯電話をいじったり、
足を組んで座っている人がいる場合がある。

また、ヘッドフォンから大量の音が漏れていたりと、周囲の人への影響など
お構いなしの行為を見かけるのだ。これらは果たして「自由」な行為なのか、
「好き勝手・自分勝手」な行為なのか。

細かく挙げればまだまだあるのだろうが、だいたいこのような光景や出来事を
毎日目にしている。私としては、これは全て「好き勝手・自分勝手」な
行為と思っている。決して「自由」な行為ではない。

そもそも「好き勝手・自分勝手」とは、一体どのような行為を指すのだろうか。
これは、「ルールを無視した独りよがりな行動・言動」を言うだろう。
上記の例は、全てそれに該当するのではないか。
こういった人間が昔に比べて増加しているのと感じるのは、私だけなのであろうか。

私の個人的見解だが、偏った教育やしつけ・洗脳、我慢の強制(過度な抑圧)、
経済の過剰成長などが集中して発生したり、それらを直接的に経験したりすると、
人間が本来持っている”判断力や理性・バランス感覚”といったものが
欠落又は損失してしまうのではないだろうか。

そのようなことから”自分のことだけしか考えられず、自分のことだけで精一杯に
なってしまう”行為・行動・言動や、”自分だけを守ろうとしたり、自分だけが助かろうと
してしまったりする”行為・行動・言動などが”普通”になってしまうのではないだろうか。

アンバランスな状態を自らでは全く気付くことなどはなく、当然のことながら、
自らで補正・修正しようなどと考える必要性は皆無なのだ。

それらを平然と露呈してしまっていも、周りがどうであれ、
自らでは全く気付いていないのだから、何ら悪びれずに行動するのは
ある意味”普通のこと”と言えるのではないだろうか。

さらにもうひとつ、私の感覚的見解だが、20年前頃から極端に国の政治が
安定しなくなってきた(内閣総理大臣や閣僚がコロコロ代わる)が、
それと同時に、こういった人間を多く見かけるようになったとも感じている。

政治・教育・経済のバランスが崩れてしまうと、人間はやはりダメな傾向に陥るようだ。
「抑えが効かなくなる」とでも言おうか。人間にとって「バランス」は
非常に重要な意味があるのであろう。

自由にはルールとバランスが必要

上記、色々と、私の個人的見解を述べさせていただいたが、
「真の自由」が成立するためには、「ルール」が絶対に必要となる。

「ルール無し」では「真の自由」は成立しない。
ルールの範疇であれば何をやっても、何を言っても良い。
万能ではないが、法律や条例といったものがまさにその役目を担っている。

連日のように凶悪犯罪や虐待などが発生し、その動機を皆さんも何度となく
ニュースで耳にしていると思うが、「誰でも良かった」「死刑になりたかった」
「交際を断られた」等々、非常に自分本位な、身勝手極まりない理由が挙げられている。

相手を一切無視し、自分の思い通りにならないから、とその行為そのものをあくまでも
正当化しようとしている。殺人は究極的な罪だ。究極の「好き勝手・自分勝手」が
殺人と言えるのではないだろうか。

人間が持つ、本来の「バランス」を取り戻すにはどうしたら良いのか。
人間が初めてこの世に誕生した時、「殺人」はあったのだろうか。
いや、恐らく「共生」することが常であり、「協力」し合い
「助け合う」ことが当たり前であったはずだ。

相手を思いやり、労り、考え、支え合ったはずだ。
なぜなら、そうしなければ逆に生きていくことが困難だったからだ。

今の世はどうだろうか。

まさにそうしなければ生きていくことが困難な時代なのではないだろうか。
「共に思いやり、助け合い、協力し合い、相手を思いやり、労わる」。

これは、本来人間が備えているものであり、決して忘れることがあっては
ならないことだ。いまこの時代こそ、このことを皆が考え、
早急に「バランス」を取り戻さなければならない。

そうすれば、必ずや本来の世界が甦ると私は信じている。

自然と共生し、人間同士が共生する。
これは幻でも何でもない。実現するのに必要なのはただ一つ。人間自身の「心」だけだ。
心の鍛錬は必要だが、難しいことでは決してないはずだ。

今一度、過去を振り返り、皆の心で真剣に未来を考えなければならない時が
やって来たのだろう。一人ひとり、責任ある存在であることを認め、
行動をしていかなくてはなるまい。

今の世には「好き勝手・自分勝手」が溢れている。
コントロールが効かなくなり、バランスが崩れてしまった人間の宝庫と化してしまった。

「真の自由」とは、何なのか。
一人ひとりが考え、改めなければいけない時代になってしまった。

「真の自由」を私達人間は、本当に掴む日は来るのだろうか。
いや、いつしかまた、バランスを取り戻す日が必ず来ると私は信じたい。

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

*「日出づる国の行方」Vol.4はこちら / vol.6はこちら / 記事一覧はこちら

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