日出づる国の行方(Vol.10) 〜現代「モンスターペアレント」との向き合い方〜

今回のコラムは、前回Vol.9の続きとなるので、
まだご覧いただいていない場合は、ご一読頂きたい。

 

モンスターペアレントの全てを否定しない

実際、モンスターがこちらのやり方などに対し理不尽な
発言や要求を自分(たち)にしてきたと仮定してみよう。

これには、やはりカウンセリングの基本姿勢を貫くしかないのであろう。

基本姿勢は「傾聴」「共感」であり、「否定」をしないことだ。

あくまでも「自己解決(自我による解決)」を目指す姿勢を貫かなくてはならない。

まずは、モンスターの言い分に対し一切反論をせずに「聴き役」に徹してみる。
そしてその途中途中に、その言い分をそのまま相手に返す。

「○○と言うことですね?○○と思っているんですね?」といった具合だ。

この過程で注意しなければならないのは、どんなに責められたとしても
「決してモンスターに謝らない」ということだ。

まだ、この段階では話が終わっていないのだから、謝罪の言葉を
述べてはいけないし、その必要もない。

謝罪の言葉を述べた段階で、相手に”認めた”という間違った信号を
送ることになり、それこそモンスターに”自分たちの思いどおりになる”と
勘違いさせてしまう。

モンスターにもきちんと”考えさせる”ようにしなければ、
根本的な解決など望めないであろう。

この過程では、相手に対し「あなたの話をしっかりと聞いていますよ、
理解していますよ」と伝えることが目的であり、相手に対し
「自分が何を言っているのか」を理解させる目的があるため、
この「オウム返し」をひたすら繰り返してみるしかない。

まずはモンスターの言い分を全て受け止めることが重要だ。
とにかく言いたいことを全て吐かせるまで一切反論などはしてはいけない。

同じ内容を何度も何度も繰り返すだろうが、そこが一番言いたいことなのだから、
それをじっくりと受け止めるようにしなければならない。

そして、話がひと段落ついた頃合いを見計らって、
話の内容をまとめて相手に返してみる。

ここまでが、カウンセリングの基本姿勢だが、その後は
「言いたいことは、よくわかりました。私(たち)はあなたの話を
しっかりと聞かせてもらい、理解ができました。では、私(たち)の考え
も少し聞いてもらってもいいですね?」
と、ここで初めて相手の考えに対して自分(たち)の意見や考えを
主張するようなアクションを起こしてみる。

途中で間違いなく相手は反論してくるだろうが、そこは
「私(たち)はあなたのおっしゃることを最後まで聞いてから話をしています。
まずは、同じように最後まで聞いてもらえませんか?」と、
相手に対して「一切反論せずに理解しようと最後まであなたの話を聞いたのだ」
という事実をぶつける。

それでもモンスターはあくまでも話を遮り、反論をしてくるだろう。

が、そこは冷静に感情的にならず、同じ言葉をぶつけてみる。
収まらなければ、また、聞き役に徹する。
これをじっくりと何度でも何度でも繰り返す。

不思議なもので人間というものは、このようなことを繰り返されると、
案外冷静になり、お互い信頼感のようなものが生まれてくる場合が多い。

きちんと向き合ってくれる相手に対し、安心感のようなものが
自然と生まれてくる場合が多いのだ。

このような流れを作れば、恐らくモンスターのテンションも
「怒り一辺倒/理不尽一辺倒」ではなくなり、多少なりとも
冷静さを持ち始めるはずだ。

その冷静さを取り戻したときに、ようやくまともな話ができるはずなのだ。

 

現代人は”気付き”に気付かなければならない

モンスターとの決戦を過去に繰り広げた方々に「どのように対応したのか」
と聞くと、皆同じようにこう言うのだ。

「あまりに理不尽で非常識なことばかりを偉そうに平然と主張するから、
こちらもかなりカッとなってしまい、モンスターの考えや意見を
否定するだけになってしまった。お互いがお互いの意見や考えを
押し通す結果となってしまった。

要はただ言い合いを繰り返すだけで何も解決はしない。
モンスターは一方的に謝罪や金品を要求してくるわ、”訴えてやる”とか
ある意味脅迫めいたことも平然と主張してくるわで・・・どうにもならない」と。

恐らくだが、モンスターは人ときちんと向き合って話をしたり、
話を聴いたりした経験が乏しい、もしくはほぼ無いに等しいのでは
ないかと思われる。

そのため、非常に独りよがりな考えに傾き、相手のことを考えられず
「話なんてものは、こちらの都合で強引に進めてしまえばなんとでもなるんだ」
という”間違った対人観”を形成してしまったのかもしれない。

また、何でも”人のせい”になってしまったのかもしれない。
その間違いや誤りを誰からも指摘されずに生きてきてしまった可能性も非常に高い。
指摘されたとしても、知らん顔をしたのかもしれないが・・・。

もしくは、相手に自分の考えや意見を言ってはみるが、反論ばかりされたり、
聞き入れてもらえないような経験を数多くしてしまい、”それならば”と
自分もそれをそのまま実践するようになってしまった可能性も
否定できないだろう。

コミュニケーションは”相手に寄り添うこと”が第一の基本姿勢であり、
この努力をしなければ何も始まらない。
どんな相手であっても、この基本姿勢は変わらないのだ。

自分から、もしくは相手からコミュニケーションを求められた場合には、
相手を受け入れ、受け止め、認め、そして尊重する姿勢が必要になる。

自分はそのようにしても、相手がそうでなかったりした場合には
永久にコミュニケーションが成立することはない。
必然的に、その相手とは疎遠になるか、喧嘩別れをしてしまうことであろう。

人が人としてあり続けるために絶対に必要なものは、
”相手に対する思い(やり)”だ。自分のことだけではなく、
相手のことを深く考えてあげなくてはならないのだ。

皆が自分のことだけを考え、行動を起こしたらどうなるだろうか?
何でもかんでも”人のせい”にしたらどうなるだろうか?

歴史を見ればわかることだが、共に助け合い、協力し合い、励まし合い、
文化を進化・発展させてきたのが人間だ。途中、幾度の争いや苦難があり、
無残な殺し合いも確かにあった。

悲しいことに、今も日本以外のどこかの国々では、その悲劇が繰り返されている。
が、しかし、人間は争いや殺し合いで進化・発展をしてきたわけではない。

助け合い、協力し合い、励まし合い、進化・発展してきたのだ。
一人一人がこれに気付かなくてはならない。

”気付き”に”気付く”必要があるのだ。

 

by マーケ・コンサル会社勤務/kazz

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