自由に生きる

人類社会は、歴史の営みのなかで進歩しながらも、常に未完成です。

人類は未だに社会の完成形を共有すらできていないのですから、
いつも未熟であり、その代わりに「完成形を目指す」という、
美しき挑戦権を僕たちは持っているのだと思います。

それに、完全に熟した、と思った直後から、
陳腐化への道を歩み始めている場合が多いことを考えると、

未熟を認めることこそが、成熟に至る一つの条件
なのではないかと思えてきます。

また、これは人類社会だけでなく、
人間個人でみた場合も適用可能な考え方なのではないでしょうか。
大局的に見れば、現時点での人間は未完であり、
生命の最終形態ではないことは、
あなたもなんとなく”知っている”ような気がしませんか?

その感覚は、あなたの知識からくるものだけではないでしょう。
感覚の多くは本能に由来するものであり、
本能とは、僕たちが生まれ持った(才能)です。

そのギフトを他人、または自分自身に否定されると、
魂の奥底にある設計図からズレた価値観を強要されていることになります。

そんなときは、あなたの奥底から「魂の声」が聞こえてくることでしょう。

〝自分はまだまだこんなもんじゃない〟
〝なぜうまくいかないんだ? 何かがおかしい〟

こういった魂の声は、僕たちが間違った道を進もうとするのを
なんとか留まらせようとする、一種の安全装置です。

では、間違った道へ進むのを思いとどまらせるのが
「魂の声」であれば、反対に、
ズレた道に進ませているのはいったい何なのでしょうか?

結論から言えば、それはあなたの魂の声ではありません。
あなたの固定観念が、そうさせているのです。

大切なところなので、繰り返します。

あなたを本来からズレた道に進ませているのは、
あなたの単なる”固定観念”なのです。

人間が生きているなかで、知らない間に築きあげてしまった、
固定観念という壁が、間違った道があたかも正しい道であると、
そう思い込ませているんです。

あなたが「人類は完璧じゃないとダメだ」と思っているとしたら、
それは、実はあなた独自の観念にすぎません。
この三次元世界では、完璧を定義することはとても難しいからです。

例えば、日本人の平均寿命は、男性で約80才、女性で約86.5才です。
現時点では、全宇宙と対比して見れば一瞬としか言いようのない命しか、
僕たちの肉体は表現できません。

さらには「完璧な生命体の定義は、寿命が延びることなのか?」
と、疑問を持つ人も出てくるでしょう。

また、「広く言えば、惑星や銀河も生命体ではないか?」
といった意見もあるかも知れません。

これらはあくまで例えではありますが、この現象が意味するものは、
「命が長いほうがより完璧に近い」という定義をもった瞬間、
その定義には相対的なアンチテーゼや、並行的な未解決の問題が
自然と用意されてしまうということです。

一見、完璧なロジックであると思われる事柄には、必ず反証があることを
一つ上の次元や、並行的な別世界にロジックとして組み込まなければ、
完璧な宇宙を定義することは不可能です。

そして、ロジックを組み込めば組み込むほど、
そのロジックに対しての反証を防ぐために、
さらにロジックを組み込むという、
イタチごっこのフラクタルが形成されていくんです。

そんなことをするくらいなら、
完璧なものはないと認めたほうが早くはないでしょうか。

この三次元世界では矛盾はあたりまえであり、表現しきれないものがある。

それはむしろ自然なことだと受け入れることで、
僕たちは”完璧でなくてはならない”という固定観念から脱出し、
より自由に生きることができるんです。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

(文/中里 昌克)

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